アメリカ政府がAIモデルの事前審査を検討している、との報道が出た。また日本では最高裁によるAIは猛獣という発言が報道された。行政も司法も、体制側がAIを無視できないものとし始めてきている。ルールを決めること自体には賛成だ。ただ、気になるのは「誰が安全の基準を決めるのか」という問いで、そこには答えがまだ見えない。
もっとも、体制がAIを敵視しているかというと、そう単純でもないかもしれない。「猛獣」発言も、事前審査の検討も、AIを止めたいというより「自分たちの管理下に置きたい」という意志の表れと読むこともできる。包囲網というより、取り込み——そう見ると、体制とAIの関係は対立ではなく、主導権争いに近い気がしてくる。
そうした動きと並行して、スタートアップは相次いで金融業界のアナリスト業務を自動化するソリューションを発表している。資本主義の恩恵を最も享受してきた業種の収益構造を、静かに、しかし確実に変えていく動きともとれる。「アナリストという職業がなくなる」とまでは言えないかもしれない。ただ、その仕事の中身が根本から変質していくことは、もはや避けられないような気がしている。
金融は、もともと政府が高い規制の壁で守ってきた業種でもある。その規制の厚さゆえに、AI導入には膨大なコンプライアンス対応が必要で、変化はゆっくりとしか進まないだろう、という見方もある。それはおそらく正しい。ただ、ゆっくりであることと、変わらないことは、まったく別の話だ。壁の内側に守られてきた人々の仕事が、時間をかけながらも書き換えられていこうとしているのは、何とも示唆的な気がする。
AIをめぐる動きは凄まじい速度で起こっている。日本のなかでは、どうなのだろうか。歴史的に、日本が得意としてきたのは、破壊的な技術が登場したあとに、それをうまく乗りこなしていくことだ——明治維新しかり、戦後復興しかり。ただ、デジタル化の波にはうまく乗れなかったという苦い記憶もある。得意だった時代と、そうでなかった時代が、どちらもある。
しかも今回のAIは、蒸気機関やコンピューターとは少し質が違う気がしている。身体的な作業ではなく、思考や判断を代替しようとしているからだ。過去の成功体験がそのまま通用するかどうか、正直なところわからない。
それでも、いみじくも最高裁の発言は、日本の置かれている立場や得意分野を踏まえた上での、味のある一言なのかもしれない——と思いたい気持ちも、少しある。断言はできないけれど。
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