人が自分自身の変化よりも相手の変化を望む理由は、自分が変わることが、自らが構築してきた世界モデルの前提を見直し、再構築することを意味するからである。一方、相手が変わることは、自分の世界モデルを維持したまま、外部環境を自分の認識や期待に近づけることを意味する。そのため、人にとって相手が変わることの方が心理的な安定をもたらしやすい。
では、そもそも自分とは何であり、自分が変わるとはどういうことなのか。
概念的に言えば、自分とは、自分という個体が外部から得た情報をもとに、世界を意味づけ、認識している主体である。
そして、自分の変化とは、身体的・生化学的な基盤や、経験・学習によって形成された認識、価値判断、世界モデルが変化することである。つまり、自分が変わるとは、単に身体的な状態が変化することではなく、自分が世界をどのように理解し、意味づけ、判断するかという構造が変化することである。
一方で、相手が変わるということは、自分自身が変化することではなく、相手が自分の持つ世界モデルや期待に近づくことを求めることである。
人が自分の変化よりも相手の変化を望む理由は、相手との関係が続く限り、自分が変化することを選択することは、これまで安定していた世界の理解の仕方を変化させ続けることを意味するからである。それは、自分が当然だと思っていた認識や価値判断を問い直すことにつながり、心理的な負担を伴う。
人は一定の世界モデルを持つことで、物事を理解し、未来を予測し、行動している。その世界モデルが大きく揺らぐことは、自分自身の認識の基盤が不安定になることを意味する。そのため、人は自分が変わることよりも、相手や環境が自分の認識に適合することを望みやすいのである。
しかし一方で、自分が変化するべき時に変化することを選択できるのは、自分自身だけである。その選択可能性こそが自由である。
世界そのものに対して、自分が直接変えることのできる範囲は限られている。しかし、自由を求めるのであれば、自らの認識や価値判断を見直すことによって、世界との関係性を変化させることができる。
自分が変わることは、単に相手に合わせることではない。それは、自らの世界モデルを主体的に再構成し、自分が世界をどのように捉え、どのように行動するかを選び直すことである。
この能力こそが、知性を持つ人間が獲得した重要な自由なのである。